2017-06

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思想「ロボットは心を持つようになるか」

明日に控えた哲学の論述試験に備えて予稿。

いちおう教科書はこれ。
ロボットの心―7つの哲学物語 ロボットの心―7つの哲学物語
柴田 正良 (2001/12)
講談社

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 ここでは、あくまでも唯物論的視点(素朴な物理主義)から考察を行う。従って、教科書にあるように、機能主義の立場から心の機能を実現可能と考える。

過酷なチューリング・テスト

 チューリングマシンを考えたアラン・チューリング、が考えたチューリング・テストでは、機械が人間とチャットをして、その人間がチャットの相手を機械ではなく人間である、と判断すればその機械は考えているといってよい、といったものである。

 実際、チューリング・テストでプログラムを競わせる競技会があるらしいが、それは判定者が参加者によるいくつかのプログラムおよび、数人の対比役の人間と15分間会話し、判定者がもっとも人間らしいと思った相手を選ぶことによって実現している。

 この競技会では、プログラムは短い会話時間の間に、巧妙に質問の答えを間違えたり話題をそらしたりしてうまく判定者をだまそうとする。しかしながら、これだけでは「機械が考えている」と思うにはあまりにも不充分であろう。

 たとえば、あなたがネット上であるユーザーと出会ったとしよう。そして、そのユーザーが実はプログラムだった(ハンドルネーム:Ai)、という設定にしてみよう。そのプログラムは最初はさっきのようなチューリング・テストを軽くパスする"知ったかぶり"な戦術でうまくあなたを上手くだましこむかもしれないが、あなたは度々Aiとチャットをし、Aiが人間でないことを一生見抜けないのであろうか?

 正直なところ、Aiに質問をして適当な返答しか返ってこなかったらあなたはうんざりしてAiとの友人関係をやめ、「ヘンな奴だったな」と振り返るにとどまるかもしれない。そうすればある意味チューリングテストをパスしたことになるが、さすがにそれで「考えている」とは見なせないだろう。

 では、若干設定を変え、あなたがネット上で知り合った複数の友人と共同でパソコン用のRPGゲームソフトを開発することになったとしよう。その友人の中にAiがいるのである。みんなはゲームの構想から意見を出し合い、プログラミングを分担し、グラフィックを作り、ゲームの公式サイトを宣伝し、…。数ヵ月後にようやくゲームソフトが完成した。その後、ゲームは大人気を博し、みんなでお互いの仕事をたたえ合った(しかし、残念ながらオフ会の案は水に流れた)。

 さて、そんな今、「最もいい仕事をしたなぁ」と思った友人がAiだったとして、その後Aiがあなたに自分がプログラムであることを打ち明けたとしたら、あなたは恐らく冗談だと思うだろう。
 仮にAiが日本語の言語処理しか行えず、グラフィック処理やあるいはプログラムを読むことすらできなかったとしても、ゲームの構想を練ったり作業についての指示を出したりできていたとすれば、「考えてる」といってもよさそうな気はするのではないか(もっともAiがGoogle先生の弟子だったらば、ネット上から傑作のストーリーをパクってきた疑念も捨てがたいが…)。少なくとも、Aiは"使える"存在であることは肯定せざるを得ない。

適切な情報処理

 突飛ではあるが、技術の進歩により、自律型で学習機能をもったロボットが実現されたとしよう。そして、学習によって自らの機体においてのソフトウェア的改良とハードウェア的改良が行えるとしよう。とりあえずのところは"無能なアンドロイド"程度のものでよい。

 そして、ロボット三原則の代わりに、こういった原則を与える。

  • ロボットは人間に、それが人間であると思い込ませなければならない

 ロボットがちゃんと改良されるならば、ロボットはそのうち先ほどのAiのような賢いプログラムを備えたロボットに改良されるであろう。なぜならば、有限時間(リアルタイム)で適切な情報処理を行わなければ、原則に反して人間に疑われるからである。現実世界においてのチューリング・テストを強いられたロボットは、その所作を見る限りは人間と全く違いを見いだすことはできない。

 ただ、かといってそのロボットが心を持っていることには納得できないかもしれない。結局は感情豊かなフリをしていて、何も感じていないのかもしれない。

 しかしながら、ロボットが人間と共存しながらチューリングテストをパスするために、その人間との会話において、意味解釈の機能なしに"喋ってるふり"だけでスムーズに話せるのであろうか?言語の問題をクリアするためには、意味解釈は避けては通れないだろう(Aiも意味解釈は行っていると考えざるを得ない、というか、その方がむしろ手っ取り早かろう)。

 そして、それと同じように、人間と同じ機能を果たすためには、"心を持ってるふり"だけではなく、実際に心を持って然りであり、むしろその方が手っ取り早いだろう。


―以上です。じゃあどうやって実現するんだよ!というツッコミには返答しようがないですけどね…。時間がなかったので、尻切れを容赦ください。
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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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